2004年07月13日

イッツ・ア・スモール・ワールド

あれは、4月13日火曜日のことだった。
またもや、すこし経ったことを書く。

イランの戦争やパレスチナの紛争。突然ふって沸いた自衛隊派遣。戦争のない日本にいて、世界を実感することはなかなか難しい。
私の母は、ディズニーランドの「イッツ・ア・スモール・ワールド」に乗ったら泣けたという。なんで人間は戦争を繰り返さなければならないのか…。♪世界中どこだって〜の歌を聴いていたらこらえきれなくなったという。

イッツ・ア・スモール・ワールド。
そのことをこどもたちが実感できれば、戦争はなくなるかもしれない。そう思ったら決行だ。少なくとも自分の娘にはそのことを実感させることはできる。



グーグルがつくったコミュニティーサイトにORKUTというのがある。ここでは世界中のひとたちと友達になれる。勿論、出会い系と勘違いするヤカラもいるが、地球の裏側にいる人をナンパしてもという気分はある。

そのサイトで友達のネットワークを拡大していった。つまり、友達の友達は友達だ。みんなで広げよう。友達の輪ッ。…てやつ。

気がついたのは、日本が好きな人達が多いこと。
寿司が好きなのは当然。アニメやJPOP、キティーちゃんにポッキー、北野映画などなど…。

私は日本映画が大好きなオランダの女性とメイルを交わすようになった。
そして、2週間ほどたったとき、彼女が日本に旅行に来るという。
「で、会えたらいいですね」とだめもとでメイルを打ったら。(勿論、下心はなくはない…)
「会いましょう」と。

彼女としては、日本滞在の最終日に、都内のパブででも…。という感じでしたが、何分私の英語力では、外人女性とサシの会話は辛い。
で、妻に話をして、我家で彼女に日本料理の作り方を教えてて食べるという会をすることにした。



半月前に知らなかった人を我家に呼ぶ。それもオランダ人。我家にくるのも勇気。それを迎える勇気。小4の娘は、なんでそんなことするのと嫌がった。

でも、案ずるより生むが安し。
彼女は彼氏と一緒にやってきて、楽しい3時間を過ごした。
言葉は違っても考えることは一緒。口に合わない日本料理にも文句はいわなかった。(口に合っていなかったことはカミサンは感じたのですが、私は彼女の英語ブログで後日知りました。)
折り紙をみんなでつくって、娘は彼女にキティーちゃんの贈り物をした。
わたしは、別れがつらかったので、駅までは娘と妻に見送りを頼んだ。



イッツ・スモール・ワールド。
世田谷区は世界中から人が集まってきているようで、娘が知っている人の出身地だけでも、イギリス、フランス、ドイツ、ボツワナ、インド、タイ、フィリピン、中国、韓国、ニュージーランド…。
娘が、世界は小さい。世界はひとつと感じてくれることを祈る。

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2004年07月12日

スティーブン・キング

かなり前であるが、作家スティーブン・キングのドキュメンタリー番組をNHK教育テレビでやっていた。
彼はアメリカのニューイングランド州の寒々しい田舎で、息を真っ白にしながら、バットを振っていた。彼が近所のおじさんたちのソフトボールチームにはいっていて、草ソフトボールをやっていたのだ。

彼は言う。
私は、まず妻の夫であり、次に息子達の父であり、その次に地域の人、最後に作家スティーブン・キングである。…と。

シャイニングで知られるモダン・ホラー作家のスティーブン・キングは、世界的なベストセラー作家である。だが、彼が一番大事にしていることは、夫婦、家族、そして地域なのだ。

人間の存在というものを根源的に考えたら、それは当然のことだろう。

勿論、医者や消防署員など、私生活を捨てることを余儀なくされる場合もあるだろう。
でも、スティーブン・キングの志というものはいつも心にとめておくべきなのだと思う。


posted by sponta at 08:04| Comment(2) | TrackBack(15) | 勇気 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年07月11日

人と話す勇気

人と話をする勇気。この勇気というものが欠如していると思っている。
せめて自分だけはその勇気を持とう。そう思って行動している。



娘のクラスメートが、友達グループと万引きをした。そのことは保護者の間で話題になった。わたしの妻からのニュースソースからでは、そのことを担任教師も学校も知らないでいるらしい。
つまり、保護者の間では、そういう告げ口をするとこどもが仲間はずれにされる可能性があるし、いずれにしても、万引きなどという危うい事柄で先生と話し合いを持つ勇気がないのだ。

私の娘は、問題の女の子の遊びグループではない。
自慢ではないが、娘はねたみそねみグループの雰囲気にはそぐわないのだろう。もし、そういうグループに入ることがあっても、つべこべと文句を言うから疎ましいし、いじめようと思っても、身体は大きいし、柔道をやっているから負けてしまう。そういうことなのだと思う。
だから、実際は、お友達グループにいれてやんない。そういう感じだと思う。

娘が直接の友達ではないから、私も私の妻も、この件で先生に報告相談をする立場ではないと考えた。もっと問題に近い子の親が先生と話をすべき。
妻は、グループの女の子のお母さんに電話でそうすべきという意見を伝えたが、それが実現されることはなかったようだ。



そして、昨日…。
児童館に行くと、そのグループの首謀者と思われる女の子のお父さんがいた。
そのお父さんとは、一度であるが、児童館の音楽室でドラムを叩いたことがある。ひとなつっこい印象で、ひさしぶりに運動会で顔を会わせた時も、すこしだけ会話を交わしたが、このお父さんの好印象は変わらなかった。

しかし、自分の娘が万引きの首謀者だということは知らない彼に、どうやってそのことを伝えたらいいのか…。相手が怒り出すかもしれないし、そんなことはないと断固否定するかもしれない。そのとき、もし、相手が近所の一おじさんという立場の私が「何であんたからこんなことを言われなけりゃならないのか」といわれれば、返す言葉はない。

だが、今この時を逃すと彼女はどうなる…。小学校4年生の時点で矯正しておけば小さな問題でしかないのに、この状態を見過ごしたままにしたら、中高生になったときにどういう非行に走ってしまうのか…。そのことを考えたら、自分の勇気などとるにたらないこと。私はそのお父さんに声をかけた。



案ずるより生むがやすし。
お父さんの話では、国際結婚しているお母さんが、一時帰国の際にトラブルに巻き込まれ、半年以上別れ別れにくらしている。
お父さんは、女の子の日常のことを思い、彼の実家で彼女のおばさんと同居させているが、そのことで女の子にストレスが加わった。おばさんはおばさんで一生懸命やっているが、その頑張りも、女の子には迷惑をかけてしまっていると、心の負担になっているのかもしれない。
そして、女の子の下の子のストレスも加わり…。

みんなが頑張っている。だけど、それが結果として女の子の心のストレスにつながってしまった。通りかかった地域で活動するお父さんに加わってもらい、もう少し具体的な話を聞いたら、結局のところ、その女の子は、親がいないからお金をあずけられているからお金が自由になるので、それで友達関係をつなぎとめておこうとした。そういうことのようだ。だから、もっと悪い女の子は別にいる。その子が首謀者なんかではない。と。



ことの問題はなかなか複雑。
…だが、問題の根っ子はとっても簡単。
女の子は、クラスメートと親の愛情比べをしている。
そして、それで勝った子は、嫉妬やねたみからいじめられ。
負けた子は、悔しかったり、ストレスが暴発していじめる。

小学校低学年において、自分の価値を決めるのは、学校の成績でも、お金でもない。それは、ただひとつ。親からの愛情なのだ。
だから、海外旅行に連れていったことがあっても、それが親が行きたいのが理由だったら意味はない。お金があっても、それは根本的にこどもたちの心の空白を埋めることはできない。

親がショッピングに行きたいからこどもを連れていく。親が温泉に行きたいからこどもに一緒に行く。
親のほうは、連れていってあげたと思っているけれど、こどもの方はダシに使われたとしか思っていない。ことの本日を見ぬいているのである。

だけど、お稽古事は違う。
ピアノや英語、水泳など、自分のためだけに親が奔走している。こどもは、それを実感する。勿論、親の着せ替え人形遊びのために、もしくは親の自己実現を埋め合わせるために無理やりやらされている場合もなきにして…。ですが。


人間のアイデンティティーの基本は親からの愛情。そんなことコンラート・ローレンツを学んでいれば、当然の話でしょう…。



妻は、PTAの集まりで、お稽古事というのは、こどもが自分が親から愛されているかどうかを試す格好の材料である。と発言した。これは具体的な事例から、明かなのだが、そういうことは議事録をプリントした配布物には反映されない。
あたりさわりのないことでお茶を濁したほうが、自分は安心していられる。そう考えてのことだろう。

他人が言ったことをプリントに載せる勇気さえない。これが普通のお母さんの実情ではないか。
わたしは勇気と書いてきたが、ことの本質は非情であると思う。自分の心の持ちようだけを気にしてしまって、他者への優しさがない。それは人間の行為ではないと思う。

自分の気持ちがズタズタになろうと、世の中や他人がよい方向に向かえばいいんだ。その確信が重要なのだと思う。
まぁ、そう思う私の中にMの部分がないかと言えば、けっして否定はできないのだが…。


posted by sponta at 07:16| Comment(2) | TrackBack(1) | 勇気 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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