2004年06月02日

05_こどもをペットにしない。こどもの召使いにならない。

わたしは、娘の公園デビューから、保育園、小学校1年の保護者会活動など、さまざまな状況の中で地域の親と子供たちを見てきました。
 そして、こどもごとに個性があり、家庭ごとに事情がある。したがって、ほかの家庭に何か物を申すことは要らぬ摩擦を起こすことにしかならないと、痛切に感じざるを得ないような出来事が多々ありました。しかし、人に強いるのではなく、私はこういう子育てを目指していると、なかば独り言のように沢山の同僚ともいえる親たちに語りかけてきた言葉が、「こどもの召使いにならない。こどもをペットにしない」です。

 さて、保育園の年少さんのもうひとつ前に娘を通わせた4月の始めの話。
 我が娘は1日目は楽しく保育園に行きました。でも、2、3日経つと、これから毎日保育園に行かなければならないと分かり、送りのときに娘は号泣しました。
 妻は、号泣されるので送りたくないと言い、父親である私が保育園まで送ることになりました。毎朝、まるで姨捨山に捨てるみたいな気持ちになりましたが、1週間ほどで娘も諦めたのか、新しい生活と環境になれたのか、つまりお友達ができて楽しくなったのか、朝私を苦しめることもなくなりました。
 しかし、数ヶ月経っても、朝、こどもたちと一緒に園庭で遊ばず、親がいなくなっても、柵の金網にしがみついて外に向ってベソをかいている子が何人かいました。
 そして、そういう子のお母さんと話をすると、仕事の事情などで公園に子供を一度も連れていったことがないお母さんが殆どでした。

「この子は大きくなったら人の物を欲しがるようになるかもしれませんね」
 これは私の娘のスコップを取り上げた女の子を囲むサークルで、軽い冗談として言った私のセリフです。砂場では自分が持ってきた遊具とはいえ取り合いは日常ですので、私のセリフはジョークとして受け入れられました。しかし、そのセリフには真実がある。つまり、幼児は砂場で他人の物を勝手に使ってはいけない。使うときは許可を得てからであるという、人間関係において基本的な行動バターンをシミュレーションで学ぶのです。

 この学ばせシミュレーションは、最初は母親がやります。つまり、幼児は母親の指示によって、持っている遊具を相手に返す。または、「貸して」と聞いて「いいよ」といわれてから使う。そして、飽きたり、その子が使いたがったら「ありがとう」と言って返す。
 そういうことが第1段階だといえます。
 この状況や発育段階では、幼児たちは集団で遊ぶことはできません。そういう公園デビューしたての2才前後では親がいないと何もできませんし、子供も親の人間関係の延長線に他の子供がいる。そのように外界と自分を位置付けているのでしょう。
 しかし、発育がすすむとともに公園にもなれて半年も経つと、砂や遊具で遊ぶことよりも、友達と遊ぶことが楽しくなってくる時期がやってきます。つまり、友達と砂や遊具で一緒に遊んだほうが楽しい。そのことのほうを魅力に感じるようになるのです。
 そうなったとき、公園における親の場所というのがとても重要です。親という自分を絶対的に守ってくれる存在があって、子供ははじめて安心して遊べる。しかし、そこから、親離れ子離れのシミュレーションが始まるのです。

 公園に1時間もいれば、犬の散歩にやってくる人が何人もやってきます。そこで私は考えるのです。犬は放し飼いにしたら危ないから、紐を放つことはできない。でも、飼い主の中には、犬を放し飼いにして自由にしてあげたい。そう思う飼い主も多いだろう。また、しつけの悪い飼い主は、この犬の紐を解いたら、どこかへ行ってしまって二度と帰ってこないだろう…。

 ある日、私ははたと気がつきました。
 公園における親と子の関係。子供の個性の問題。しつけの問題。すべての子育てにおける問題を犬を飼うことと相関して考えることができる。
 公園にこどもをつれて行かないことは、犬を散歩につれていかない場合を考えれば、子供にストレスをためること。公園においてこどもとの距離を次第に離していけない親は、犬の紐を放す勇気を持てない飼い主。子供のしつけに自信がなかったり、子供をペットにしたり、逆に召使いになったり…。
「人生に必要な知恵はすべて幼稚園の砂場で学んだ」ロバート・フルガム(河出文庫)というビジネス書がありますが、まさにその通りと考えてやまないのです。

 さて、公園に娘を連れて行かなかったお母さんは、どういう生活をしていたのか、それは知合いのお母さんの家々をめぐって、その家で交流をする。親のほうはそれで子供同士の人間関係もできているし、お互いの家で行き来するのだから安心。母親も旧知の仲間達との交流で共通の話題も多いし、心も癒される。そして何よりも楽しい。しかし、楽しいからといってそれでよいのでしょうか。
 こどもは公園でのような緊迫した遊具の取り合いを経験しない。また、知らない子がやってきたときに友達になるやり方を知らない。こどもは、友達は親がアレンジしてくれるもの。自分から努力をして友達をつくる必要がないことを知らず知らずのうちに学んでしまっている。しかし、幼稚園や小学校に通うようになれば、誰でも友達をつくる努力をしなければならない。
 勿論、そういう人間関係を学ぶことは幼稚園に通うようになって習得すればいい、小学校に通うなって勉強すればいい。そういう考え方もあるでしょう。しかし、目の前の見ず知らずの子供を前に、習得するというのは現実的にはとても難しいことです。

 たとえ話になりますが、黒人の女の子と出会ったとします。そのとき、頭の中で人類はみな兄弟なのだから肌の違いで人間を区別してはいけない。だから、お友達になろうと、頭の中で考えたとしましょう。そんなことをすれば、きっと相手の女の子は、自分が黒人だから友達になることに躊躇したと傷つくことでしょう。
実際、我が娘の場合は、幼少期から黒人の女の子と遊んでいたので支障はなかった。

 人間は第一印象が大切とはよくいわれることですが、だとすれば、小学校に入る前にひらがなとかたかなを憶えることよりもまず、始めて出会う人に対する恐怖症、大げさに言えば対人恐怖症をとりはらっておく。そのことか重要だと思うのです。
 八方美人というのは困りますが、友達をたくさん持つこと。もしくは誰とでも友達になることは、人間として誰もが目標にすべきこと。仲良しだけが集まって、そのグループの中だけで楽しければいい。そういう選民意識に通じるような活動もあってもよいでしょう。しかし、そういう意識が世の中に蔓延していくと、風通しの悪い社会ができあがっていくと思うのです。

 さて、話を戻しますが、娘の同級生にお母さんが幼児サークルを主催していた方がいらっしゃいました。そのお母さんは理想として絵画教室も開いており、そのお嬢さんはお母さんのやるサークルや教室に必ずついていったそうです。
 小学校が始まって、娘を学校に送出しても、娘はマンションの部屋が見える場所で、ずっとこっちを見上げて待っている。そこで、そのお母さんは仕方なく下に下りていき「早くいきなさいよ」と叫んだ。その女の子は、母親が指示をだすまで、数十分もそのまま待っていたそうです。
 学校に行っても、教室でいつも泣いていて友達をつくれない。小学校に入って2年経って、クラスメートも彼女を理解して友達になり、次第に発言ができるようになったそうです。
 そして、そのお母さん曰く「同じ価値観を持つ親だけが集まること。子供の人間関係につねに親が関わることは幼少期の子供の成長にとって良い事ばかりじゃない。私は幼児サークルなんかやらなければよかった…」。
 彼女の言うとおり、女の子が小学校生活になかなかなじめなかった原因のすべてが幼児サークルにあるのかどうかは分かりません。また、強烈な親の個性が子供の自立に悪影響を及ぼしたということも容易に想像がつきます。しかし、彼女が自重気味に発言さぜるを得なかった失敗については、女の子の状況を目の当たりにしてきたクラスのすべてのお母さんが同意していることです。そして、この件から学ばなければならないことは、その彼女が幼児サークルをしたのが失敗だったと考えていたことです。

 きっと現実の幼児サークルの状況は楽しいほのぼのとしたものでしょう。へんな親もいないし、悪い子もいない。とっても気持ちがいい。でも、その安逸が社会の現実と隔たっている、乖離している。
 その乖離にこどもたちは数年後に戦慄する。小学校や保育園、幼稚園での子供のたちの修羅場に親々が立ち会うことはない。また、立ち会っている小学校の先生であってもそこまで子供の心のことを推察する余裕などない。
問題に立ち向かったときに、萎えて閉じこもってしまうか、怒ってぶち切れてしまうか。その原因は、幼少期の外界認識の問題なのに、ほとんどの母親たちはしまったと考えもしないのです。

親のやらなければならないのはこどもを守ることではない。こどもを育てること。

過保護といってしまえばそれだけのことかもしれませんが、その弊害がこどものコミュニケーション力・自立力に決定的に影響するのです。



2004年06月01日

04_理性を越えて。

※02_「親の言葉をこどもを殺す」に続く章です。

さて、自慢といっては何ですが、私の甥っ子はパリ生まれ。仕事以外で海外に旅行したことのない私としては国際派人間の登場と誇らしさを感じています。しかし、義理の兄の海外駐在が終わり横浜で暮らすようになり、彼と一緒に公園に行ったらあれまびっくり。金髪のこどもがいたり、青い眼のお母さんがいるとその場に凍りついてしまうのです。
その公園というのは、ドイツ人学校のスクールバスの停留所になっていたり、男女2校のインターナショナルスクールのバス停があり、その周辺に欧米の日本支社の駐在員や世界各国の大使館員が大勢住んでいる。勿論、そのあたりは高級住宅地でもあるので日本のこどもたちも一緒に遊んでいる。けれども、日本のこどもたちと外国人のこどもたちが入り混じって遊ぶことはけっしてない。

私がはじめてこの公園に娘を連れていったとき、外国人の多さにびっくりしました。そして、この公園で遊んでいればインターナショナルな感覚が養われるに違いない。そう単純に思ったものです。しかし、事実は違っていた。日本人のこどもたちは日本人のこどもたち同士で遊び、外国人のこどもたちは外国人のこどもたちだけで遊んでいる。そして、その様子を見ていると、ドイツ人はドイツ人ばかりと遊び、黒人は黒人ばかりと遊ぶ。そして、その輪は交じり合うことはほとんどない。たまに流暢に英語を操る帰国子女のなれの果てであろう奥さんが、自分の英語をさびつかせないために外人の奥さんと語り合うことはあるけれど、その小さな会話が日本の奥様グループと外人の奥様グループの交流に発展することはない。さて、こうした現象の理由が英語力のなさだけといいきれるのでしょうか。

私はそうした現象の底に、理解を越えた感覚とでもいうものが横たわっていると思うのです。肌の色や髪の毛の色、話す言葉が違っていても、世界中の人はみんな同じ。世界中の人たちと友達になろう。大人になってしまうと、そんな理想的なイメージは吹き飛んでしまっていますが、こどもの将来を考えるとき、こどもにそういう感覚を身につけたいと殆どの親が思うのではないでしょうか。しかし、そのことをどうやって自分のこどもに伝えたら、教えたらよいのでしょう。
人種の隔たり、言語の隔たりを越えて人と人は友達になれるなどということを言葉で言っても、それは頭では理解できていても、けっして実現できるものではないでしょう。
青い眼を見て怖いと思うこと。黒い肌をみてあとづさりすること。そういうことは理性や理解を越えて、体を自然に反応してしまうことだと思うのです。

幸なことに娘が公園にデビューしたときは、日本語もしゃべれない状況ですから言葉の壁なんかありません。肌の色や瞳の色、髪の毛の色などにしたって、人見知り場所見知りを克服しようという段階ですから、そんなことは大きな問題にならない生育段階。そういう時期だからこそ、娘は砂場で外人のこどもたちと一緒に遊ぶことが可能でした。
もっとも娘についているのが父親の私な訳で、そこで日本人の奥様グループからは心理的にすこし離れている場所にいたわけで、同じように外国人のグループから少しはぐれていたイギリス人の男の子と友達になれたわけです。
少しはぐれていたというのは少し違っているかもしれませんが、その男の子の家では奥様が輸入雑貨の仕事をしていて、日常的こどもの世話はフィリピン人のナニーさん(お手伝いさん)が行なっていたのです。普通の奥さんならば、寒くなったら公園から帰りますが、お手伝いさんは男の子のお母さんから日没まで公園で遊ぶように指示を受けていますから、自分の判断で公園を立ち去ることはできません。私の娘も日没めいっぱいまで公園で遊びたいほうでしたから、薄暗くなってまで公園に残っているのは、イギリス人の男の子とナニーさん。そして、私と娘の4人になっていた。
そのような状況の中で、片言の英語しかしゃべれない私は、イギリス人の男の子の興味を独楽廻しでひきつけながら、お友達になっていったのです。

どんなこどもとも友達になれること。それは理性を越えたことだと思います。逆に感覚のところで友達になれないと思っているのを、強引に理性でなしとげようとするとどうなるでしょう。目の前の相手は理性と感性の戦いを目の当たりにするのですから、それは相手を傷つけることになると思えてなりません。人間は確かに世の中に無垢な魂として誕生するのでしょうが、さまざまな経験に傷つき学びながら自分の周りに防御壁を築いてしまう生き物なのかもしれません。

こどもを説得し納得させ正しい考え方や行動を身に着けさせることは重要だと思います。しかし、そうした理解ではだめなもの。理解を越えて、絶対的に受け入れるべきことがらは結構あると思うのです。
自分の身を守ること。倒れている人を助けること。人の役に立つこと。
スピードが求められている時代だからこそ、大人にもこどもにもその瞬間瞬間の柔軟な判断が求められていると思うのです。

理性を越えて。



2004年05月31日

03_こどもとともに人生を歩く

※本来は著作の中でクライマックスに持ってくる内容ですが、このサイトでは早めに取り上げることにします。

娘が小学校3年生になった4月。小学校に新たな問題が起きました。
放課後保育施設の小学校への移転にともなって小学校の校舎の一部が改装され、その改装された塗料・建材などからの何らかの化学物質が微量に放出されることが原因でシックスクールが発生したのです。

ことのキッカケは、アレルギー歴のある男の子に発疹、喘息などの症状が出たこと。そして、男の子のお母さんが病院の医師に「お子さんの環境が原因だから環境を調査すべきだ」
と指摘されたところから始まりました。
私の妻は放課後保育施設を使用するこどもたちの保護者代表を務めていましたから、お母さんの話を真摯に受け止め、PTA会長に事態を相談し、校長先生と対策を練ろうといろいろな人に話を聞いたりということをしていました。
そうしたさまざまな経緯の中で、学校や行政というものの誰も責任を取れないというシステムを知ることになりました。また、システムに加えてそこに携わっている人も責任を取りたがらない傾向が強いということが明かになってきました。なかれ主義といってしまえば、それで済むようこと。いまさら公立小学校という組織のお役所対策を批判しても、問題の根っ子は深いので根本的な解決策など実現できるわけはありません。
しかし、目の前で学校の環境が原因で学校に通えないこどもがいる。それが事実ならば、親の立場として何か行動を起こされなければ、人の道にそむくことになる。

保護者代表の妻がシックスクール問題について行動を起こしたのは、最低限の人間としてのあり方に関わる問題だったと思うのです。
しかし、現実はそう簡単ではありませんでした。

校長は、問題の男の子のアレルギーが問題なのであって、他のこどもたちは不平を言わずに通っているのだから、学校の環境には問題がないと主張する。
PTA会長は、校長や教育委員会と口論になりたくないものだから、懐柔策にでる。そして、件の男の子のお父さんも自分のこどもが原因で学校や教育委員会と揉め事になりたくないからと、途中から問題解決に協力しなくなり、逆にもみ消しの方向に動きだす。

シックスクールという問題が明るみに出てから、1ヶ月を越えた頃。私の娘にシックスクールの症状が出ました。妻は自分がアレルギーで悩んだこともあり、娘の健康にはことさら気を使ってきました。ですから、娘の症状と生活環境を知った専門医師は即座にシックスクールが起きていると断言しました。
しかし、シックスクールと病名ははっきりしても現代病の辛いところで、一般的に認知されていないし誤解も多い。シックスクールの権威は、シックスクール症状の発症を持ってシックスクールが起きていると判断すべきだというのに、校長は学校の環境と症状のはっきりした因果関係が認めなければだめだという。行政で行なった教室の環境検査値をたてに、シックスクールが起きていることは勿論、シックスクールの存在すら公表しない。
だから、シックスクールが起きていると知っているのは、一部の教員と数人程度の保護者だけでした。

英語でシックというと病気というふうに勉強してきましたが、日常会話でシックというと吐き気がするという意味なのです。親は、吐き気がするとか気持ちが悪いとか言うのは、
こどもの気のせいとして片付けてしまいががちです。無理解な親は仕方ないにしても、こどもの健康をあずかる学校の職員がこどもたちの気のせいと言って片付けてよいのでしょうか。

日本のシックハウスの権威である医師は、娘のような症状がいるならば、全校生徒の20%は何らかの症状が出ているはずだし、潜在的な影響はすべての生徒が受けていると公言しました。
教室の環境調査では基準値に達していない。それは環境調査のやりかたに不備があることも否定できないし、基準値の妥当性も信用できない。運動会の前の予行演習で何人もの児童がばたばたと倒れたというし、娘の話では、保健室で休んでいると似たような症状のこどもとよく会うとも。

夏休みになり娘が小学校に通わなくなると、幸娘の症状はなくなりました。しかし、授業参観日で2、3時間教室にいるだけで親である私の気分が悪くなるのですから、学校の環境が改善されているはずがありません。そして、何よりも学校に通わなくなって症状がなくなったことがシックスクールが起きている証明でもある。大阪のある小学校では改装してから10年近く経っている音楽室でもシックスクールが発生したという報告もあります。

シックスクールは娘の身体からは出ていったかもしれないが、依然としてクラスメートたちの健康を蝕んでいる。ならば、そのことを証明するために娘が大学病院での精密検査をするしかないのか…。

母親は母親の立場で保護者会・学校・行政・市民団体・議員などをまきこみながら努力しているが、最低限のラインである全校生徒とそのすべての保護者問題を共有することすらできていない。問題は現代病の一種であり、問題の当事者のすべてが問題を共有したとしてもことの解決は難しいのかもしれない。そして、問題は技術革新という時代の流れの中で起きている不可抗力とでもいえることなので、誰かに責任を求めることで解決するわけなどない。だからこそ、せめて問題をすべての当事者で共有して、理解しあうことが重要と考えたい。でも、そのことが母親の力では達成することができなかった。

2学期がはじまって、娘は携帯用の空気清浄機を首からぶらさげて何とか学校に通うようになっていました。担任の教員は娘がシックスクールを発症していることを知っているから、そのことを認めていた。だが、マッチ箱ぐらいの大きさの空気清浄機をぶらさげていることに、クラスメートたちはひやかしたりしたことは容易に想像がつく。大学病院の先生は全校生徒の20%の子供が発症している。具体的にいえば、全校生徒のうち100名が被害をこうむっている。なのに、症状が吐き気や頭痛、鼻血などといったありふれたものなだけに、親は見逃している。
そういった症状はシックハウス症候群というもので、改善の余地はあるが、その症状がすすみ、化学物質過敏症になってしまうと、微量の物質にも反応してしまい日常生活が営めない人間になってしまう。そのような環境にこどもたちがさらされていることをほとんどの人は知らないし、妻が教えた保護者たちも学校との摩擦をさける思いや、そういう学校と対立することを避けたがる保護者全体の雰囲気に押されて何も行動をおこそうとしない。

地元で商店を開いていたり、多額のマンションのローンを抱えて沢山のこどもを公立の学校に通わせていれば、学校や地域、保護者達と波風を立たせたくないのは理解できる。
でも、だからと言って、大学教授に言わせると100名のこどもたちの健康が脅かされていることに警鐘を鳴らさないのは人の道としてどうなんだろう。

わたしは保護者の中で指導的な活躍してしている奥さんのお嬢さんがよく鼻血を出すことを妻が聞き、一度大学病院に検査に行ったほうがいいよと示唆したにも関わらず、彼女が自分の娘を検査に連れていかないばかりか、私に「物事を暗く考えないほうがいいわよ」と言いました。そこで私は彼女を罵倒しました。言い訳というか、そのときの自分の気持ちを冷静に分析すると、彼女のことよりも彼女のお嬢さんのことを考えれば、彼女を罵倒することもやむなしと考えたのです。
彼女を罵倒したのは学校施設の地域公開のイベントの場であって、突然、私が彼女を罵倒していることに面食らわれている人もいたでしょう。しかし、私が罵倒した理由を誰も知ることはなく、私が公衆の面前で女性を罵倒するような卑劣な人間であるということだけが風評として広がっていったのです。

みんなのために何事かをなすこと。妻が、私が、それぞれの立場で努力をすること。そのことを娘は見ている。大学病院での検査をすることになったとき、妻は娘に「大学病院での検査でお前がシックスクールだという結果がでれば、学校の他のお友達のためになるんだから…」。勿論、妻が娘に説得したことですが、学校で自分を症状から守ってくれる空気清浄機をつけないで数日を過ごすことの辛さを娘は選んだのです。そして、検査の結果は「シックスクールの疑いあり」。サイエンスなのですから「疑いあり」が専門家の立場としては最上級の表現なわけです。しかし、そのことを校長は逆手にとって疑いがあるだけで、因果関係が立証されたわけではないと尻をまくった。

結果、娘の努力は報われることはなく、何事もなかったように日々が過ぎて行く。娘のクラスメートのために空気清浄機を外して学校で生活をするという決断。そのような心の動きがあるのに、仮病で体育を休んでいるというようなクラスメートの無理解。報われぬ行動。でも、そういう献身とでもいえるできごとを心の宝石として成長していく。
そういう報われぬ心の慟哭は、時をへて静かな思いになり、いつしか歌になる。いまクラスのみんなに分かってもらえなかったことが、いつしか分かってもらえるようになりたい。
そんなこと土台無理なのかもしれない。でも、そのことを目指して彼女は彼女なりの人生の歌をうたいつづけて行く。

父親の私は、いまここでこうして文章を綴っている。
それが親と子がともに寄り添いながら人生を歩いていること、そのものなのです。



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