2006年07月02日

07_02〔市民参加型ジャーナリズムに必要なシステムは、全てのインターネット・ユーザに必要なもの


 市民参加型ジャーナリズムが、ビジネスであるべきか、そうでないのかは図りかねるが、ビジネスとして成立しなければその繁栄はありえない。勿論、繁栄とは市民記者が記事を書くことである。
 私がブログを通じた感覚では、読む人が100人いてもその中で書く人は一人いるかいないかである。だから、書く人を100人集めたかったら、一万人の読む人が母集団として必要だと思う。つまり、それだけのアクセス数が集まらなければ市民参加型ジャーナリズムは成立しない。また、100人の書く人たちにしたって、わが身に危険が及ぶならば継続して書くことはないだろう。
 ライブドアのパブリックジャーナリズムは一日2万アクセスと豪語しているが、母集団がその数ならば、登録しようとした人たちが数百人なのは、とても妥当な数字である。そして、その数百人のうち実際に書くことを続けているのは五十人を下る。その原因は、書く意欲を持った人たちが安心して書ける環境を市民記者媒体が容易できていないからだろう。

 市民が安心して記事を書ける環境を整えるには、市民記者媒体は何をすればいいのか。 
 私は、それが、個人情報エージェントと保険制度だと確信している。そして、それは、市民参加型ジャーナリズムに対してのみ言えることではなく、すべてのインターネットユーザーに必要なシステムだと考えている。

 個人エージェントは、インターネットに関わる匿名性の不備を補完するもの。そして、インシュランス(保険制度)は、バッシングや損害補償裁判などに個人が対応できるようにするためのものだ。
 インターネットの社会への浸透はめざましい、いまやインターネットをバーチャルな世界と揶揄することも死語と化している。
 そして、これからはますますインターネット上になんらかの形で個人が存在しなければ社会的に認められない時代が来るだろう。しかし、私が指摘したふたつのシステムが整備されていないと、個たちはインターネットにサイトやブログを立ち上げることは勿論、コメントを書き込むこともできない。
 2006年の時点では、mixiやGREEなどSNSが限定されたコミュニティーを提供することで、ある程度の成果を得ているが、それが普及すればするほど、いままで内側だと思っていたものが、外側に感じられるようになる。そのようにして、次々にSNSが生まれては使い古されていくというイタチごっこが繰り返されるだけだろう。
 とするならば、個人情報エージェントとインシュランスが、市民参加型ジャーナリズムだけでなく、すべてのインターネットユーザーに必要だと思われる。
 確かに、勇気は市民記者に求められるもののひとつである。だが、それをメディアを提供する側はけっして言ってはならぬのだ。

posted by sponta at 06:10| Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。

この記事へのトラックバック
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。