2006年06月27日

06_28〔市民記者はジャンヌ・ダルク。彼女を火あぶりにしてはいけない。〕


 コンテンツではない、トリガー。
 既存のマスコミ人は、コンテンツとして評価に値しないなどとしたり顔でいるべきではなく、すくなくともトリガーであることを評価をすべきなのだ。そして、市民記者の側は、トリガーをコンテンツに昇華させるべき努力をすればいいのである。

 市民記者運動とは、ビクトル・ユーゴーを見つける作業ではなく、ジャンヌ・ダルクを見つける作業なのです。
 そして、西宮冷蔵の社長が人生を台無しにしたように、無名の市民が、ジャンヌ・ダルクのような火あぶりの刑に処せられるのならば、誰も市民記者活動などやろうとしないに決まっている。
 市民が記事を書くことが健全な民主主義にとって必要だとするならば、オルレアンの少女が自由の戦士になったような、そんなシステムをつくってあげればいいだけのことなのです。
 そして、本物の市民は、ジャンヌのような名声を求めていない。否、名声を求めぬということによってのみ、その市民の本質を推し量ることができるのだ。

posted by sponta at 12:11| Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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