2005年11月30日

湯川さんのブログに書いたこと。

英語のディスカッションのニュアンスは分からないのだけれど、日本の議論というのは、結論を導き出すために行われている。もしくは、そういう暗黙の了解のもとにすすめられていると思う。

だから、議論というのは、形勢が不利になった方は、ヒステリックになるし、有利なほうは傲慢になる。

湯川氏の指摘のように、多様な意見が複数存在することが健全な言論の場であることは確かだ。とするならば、議論の目的は、それぞれの側が自らの論理を相手と対照することによりフォーカスすること。まちがっても、どちらかの論理が他方を飲みつくすことではない。

その意味では、反対論理を根絶やしにする全員一致による議決よりも、不満分子を残したままの多数決の採決のほうが健全である。

諸賢のみなさま。そう感じませんか?



と、書いたのだが、言いたいことは次の通り。

絶対主義の時代があり、自由主義の時代があり、そして、帝国主義もすでに終わっている。なのに、絶対主義に対するアンチテーゼとして登場した自由という概念に、多くの人が夢を持つ。
いまの世界をみつめるならば、多様性の許容。
なぜなら、表現の自由は、表現の不自由を許容しないから。そのとき、表現の不自由の根拠となるような概念はあるのか。公序良俗、人知などといっても、戦争で人を殺し、人を殺した人を殺す世界である。

そういう諦観の中で、唯一到達可能なのは、個の多様性の許容。
…これしかない。


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2005年11月29日

オーマイニュースの評価すべきところは。

表現の修行時代。私は、一次情報とは自分が見たこと・経験したこと。二次が直接伝聞。3次がメディアを通じて見聞きしたこと、と教わってきた。
そして、一次情報に価値がある。と。(それ以外には価値はない。とも)
最近、ジャーナリズムのお勉強で習ったのは、ジャーナリストの世界では、直接伝聞を1次情報である。と。(まちがってたら指摘してください。)

結局のところ、二次情報でしかないものを、一次情報にかさ上げしているジャーナリストのペテンさが、一次情報以外は価値が低いというものの道理に、必死に抵抗している。

オ・ヨンホ氏がしている革命とはそういうレベル。
マスコミが政治を動かしたことで感動するのは、のんきなジャーナリストの所作。てな、感じ。

追記:二次情報に自らの意見を加えるならば、それは立派な一次情報になりうる。

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2005年11月28日

音楽と演劇の違い

音楽は音を楽しむと書く。音楽は楽しむことが重要である。そう語るのは、親交のあるプロミュージシャンである。娘の学芸会からかえって落胆している私は、駐車場でワックスかけをしている彼と久しぶりに話をした。

彼は、言う。
自分がいいと思った演奏が必ずしもいいとは限らない。きっと自分が気持ちがよくなって、いつのまにか、リズムや音程をやりすぎている。抑制がきかなくなっているのかもしれない。と。
私は問う。
じゃ、どういう時がいい演奏なの?
それがわかんないんだよね。わかる人がいたら教えて欲しい。そんな感じ。

ふむ。
音楽を楽しむと断言して譲らない彼だが、彼の楽しむという言葉の意味はとても深いのだろう。

さて、私は、音楽会の練習のことを話してみた。
ラブミーテンダーっていう曲をやることにしたんだ。で、最初のときは、たどたどしいながらも真剣に演奏するところに魅力があったんだけど、2週間後に演奏をしたら、うまくなっていた。で、私は、「あなたの演奏は、私とっても上手に弾けるのよ。どうでしょ、うまいでしょ。っていうように聞こえるよ。お父さんはフルートが上手だし、お兄ちゃんはアルトサックスが吹けるのよって。おじさんには、ちょっと嫌味に感じるな。だから、そうじゃなくって、ラブミーテンダーっていう曲の気持ちを訴えかけるように演奏しようよ」
すると、プロをめざすアマチュア少年たちの先生でもある彼は、「そういうのいいじゃない。成長ってそういうことだし、そういう状態を経て伸びていく。おれは上手いんだって天狗になる。それっていいことだよ。でも、ボクはいつも言うんだ。ギターってのは、誰でも弾けるとっても簡単な楽器で、やっている人もごまんといる。だから、君の上達も早いかもしれないが、ライバルたちの上達も早い。だから大変なんだ」と。

みごとな演奏で同業者たちからも一目おかれる彼ならではの発言。そういえば彼の演奏は、難しいフレーズも楽々と演奏する。フレーズを構成するひとつひとつの音たちが粒だっていて、ギターはかくも簡単に美しい音がでるものかと勘違いさせる。そうした彼の演奏を成立させるものは、ギターとは簡単なものなんだという彼の美意識のせいだろう。

さて、ミュージシャンの彼と話をしたのは、クラッシック音楽とポピュラー音楽の違いだった。だが、その違いについてプロミュージシャンならではの意見をきいていると、もうひとつ別のことが気になってきた。

それは、音楽と演劇は違うこと。
簡単にいえば、音楽は自らが楽しむことで成立するが、演劇は自らが楽しむことでは成立しないということである。
劇作家の平田オリザ氏は、全国の演劇活動の支援対象を選ぶときに、市民劇団を対象からはずした。それは、演じる側だけで楽しんでいる演劇であり、演劇以前。評価に値しないと判断したからである。
音楽は楽しむことによって成立もするが、演劇はそうではないのだ。



私的なたとえ話をするならば、こうである。
ボーリングをするなら、ボーリングのピンめがけて思いっきり投げてみたい。だが、そうすればガーターになる。ボーリングでストライクを取りたいならば、レーン手前にある三角の印、スパットにめがけて投げる。それって投げてにとってはつまらないことなんだけど、ストライクをとるには仕方がない。
ポーリングの試合をみている人には、プレイヤーがストライクをとれば狂喜乱舞するのであって、スバットを目掛けて投げたかどうかなど、どうでもいいことなのだ。

posted by sponta at 09:54| Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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