2005年06月14日

なぜ、貴乃花(光司)が部屋で暮らさないか。

先日、テレビ朝日の昼のワイドショーで、なかにし礼氏は、「貴乃花(光司)はたんなる横綱ではなく、相撲界を背負って立つ力士であり、親方なので、横綱になれなかった父や数回優勝しただけの兄とは考え方が違って当然。そのことに配慮してあげて欲しい」と語っていた。

最後まで勝負をあきらめないこと。それはすべての力士が目指すべきこと。だが、圧倒的なパワーで勝負を決めてしまう電車道のような相撲が理想でもある。
最後まで勝負をあきらめないことは、電車道のような相撲が望めない小兵力士には仕方のないことかもしれないが、大相撲を貫いている王道とは違う。いわゆる横綱相撲をイメージしてもらえば分かってもらえるかもしれない。

さて、貴乃花親方が発言を開始したため、貴乃花バッシングの雲行きもだいぶ変わってきたように感じる。しかし、そんな状況でも、貴乃花親方が、部屋に住んでいないことを指摘する声が多い。そのことをとりあげて景子夫人を非難する。そして、その声に誰も反論しない。

もし、貴乃花の家族が中野新橋の部屋に住んだらどうなるのか。貴乃花のこどもたちが相撲取りにならないにしても、家族は常にマスコミの視線にさらされることになる。マスコミや部屋関係者との軋轢の中で、自分の兄弟・親子の関係が修復不能に陥っている貴乃花が、みずからの家庭もそういう危険な状況におくことが賢明な選択ではないことは明らかだ。
とはいえ、それは、自分の家族と部屋の弟子たちを分けて考えることにもなるので、そのことに貴乃花は言及することができない。貴乃花にとっては、弟子たちも大事、血を分けたこどもたちも大事。比較することなどできないからだ。

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オーマイニュースの成功の理由は

オーマイニュースの成功の理由は
「ネット・ジャーナリズムの可能性」というシンポジウムにて、私は、「日本では、個が集団の中に埋没するのを好む傾向にあり…」という質問を、オーマイニュースのオ・ヨンホ氏にしました。

オ・ヨンホ氏は、オーマイニュースの成功の原因を、

1.インターネットの普及
2.言論弾圧などによる市民意識の高さ
3.国土が狭い

通訳の不備と、私の緊張によって、わたしはヨンホ氏に答えてはもらえませんでした。
私が確認したかったのは、
韓国の場合、あたりの視線も省みず、怒り散らし、泣き散らす文化。それがオーマイニュースの成功のひとつの理由のひとつではないかということ。

*

花田勝氏のように、すべてをだまってしまうことをよしとする文化が日本。そういう気がしています。しかし、それが日本をすみやすくしないのなら、花田光司くんのように話はじめるしかないのです。


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2005年06月10日

日本一有名な兄弟、それぞれの思い。

貴乃花の洗脳騒動に始まる若貴兄弟の確執が騒がれたとき、場所後の部屋の後援会のパーティーで一言も言葉を交わさない二人が歌を歌ったというエピソードを記憶している。
兄・勝くんは「夜空の向こう」(スマップ)弟・光司氏は「青春の影」(チューリップ)を歌った。
私は、その選曲が二人の思いのすべてを語っており、その思いは今も変わっていないと感じている。

♪あれから僕たちは何かを信じてこれたかな〜あの頃の未来に僕らは生きてるんだな。〜すべてがうまく行ったわけじゃない〜。
弟のために相撲の世界に入った勝くん。当時の明治大学アメリカンフットボール部はフェニックスは、名匠篠竹監督により、日本一を独占。明治大学中野高校に通っていた勝氏が進学を望んでいたのは確かなことだろう。その姿は、「水泳は金にならん」という兄のすすめで角界にはいった父・満氏と重なる。
そして、親子の縁を切り、兄弟が切磋琢磨して、それぞれが横綱になった。満願成就とでもいえる結果なのに、虚しさだけが残った…。

一方の光司くん。兄の勝くんが、人生の辛さを歌う曲を選んだのに対して、弟の光司くんは、恋愛の歌を歌った。歌の主人公は、自分の夢を諦め、一人の女性との生活を決意する。横綱という目標に向けて、りえちゃんとの結婚を諦めた彼とは対照的な歌詞だ。
♪君の 心へ続く長い一本道は いつも僕を勇気づけた。長く険しい道だったけど、いま君を迎えに行こう〜

彼は、歌の主人公のようにすべてを捨てたかったんだけど、会場を埋め尽くしたのみんな(支援者・後援者)のために、その選択をしなかった。と、暗に言わずにはいられなかったのだ。
歌詞にある君という言葉が、光司君にとって誰にあたるのか、それはテレビ芸能ニュースを見ていた日本中の人が分かるはず。私は、その現場にいたであろう彼の妻・景子ちゃんの気持ちを思うとかわいそうでならない。

いま、マスコミでは彼の妻・景子ちゃんのバッシングが盛んである。勿論、地方出身で上昇志向の強い彼女が、フジテレビの女子アナになり、国民的ヒーローの妻の座を獲得したことは、嫉妬の対象になることは仕方のないことかもしれない。
今回、死に近い義父に内緒で土地・建物の名義を変えるように仕向けるなど、批判を受けて当然のことを彼女が示唆したらしいことが報道されている。
しかし、私には、それが夫に愛されていない女性の悲しい行動と思えてくる。
中野のタイル張りのビルは、エミリー・ブロンテの名作「嵐が丘」の舞台でもある。

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