2005年01月31日

家庭にプライバシーという概念は似合わない。(ふつうの人たちの思い込み)

子供にもプライバシーがあるから、親は不用意にこどもの領域に侵入してはいけないと、娘の学校のスクールカウンセラーが発言している。

私は、親のそういうビクビクしたこどもへの接し方が、ひきこもり少年や逆ギレ少年を作っていると考える。



そもそも、プライバシーという概念はパブリックな人にのみ成立する概念。
生活のすべてがプライベートな無名な人間にプライベートということでどこかに線を引く必要はない。

ましてや家庭の構成員同士でプライバシーを持ち出すなど論外。
父親がこどもをしつけで叩いたときに、こどもが憲法第9条を持ち出して、暴力反対というようなものだ。
勿論、トイレでうんちやおしっこをしているところを公開せよと言おうとは思わないが、プライバシーなどという概念を、素人が勝手に援用しているだけ。
事大主義…。

小学校のクラスメートがお互いの住所を知らないからコミュニケーションが広がらない。
お互いの父親の職業もしらないから、親どうしも疎遠のまま6年間を過ごす。
いろいろな弊害も起きているからそういうことになったのだと思うが、それでいいのだろうか。
悲しいかな、小学校のクラスでさえコミュニティーとして成立していない。

ちなみに、インターナショナルでは、全校のクラスメートの住所も電話番号も勤め先も名簿になって配布されている。
普通の会社の社員名簿がそうなように、コミュニティーとして成立している。

名簿がないということはコミュニティーとして成立していない。
そのことをPTAは分かっているのだろうか…。



ただし、私は、すべてを明らかにしろというのではない。

武士の情けというので、知らないふりをしてあげる。そういう配慮で世の中がうまく回っていけばいいと思うのです。

たとえば、癌になったことが分かっていても、そのことを追求したり、公表しない。それがやさしさであり、武士の情けだと思う。
公人であろうと、それはプライバシーの世界で秘匿していいと思う。

たとえば、試合に負けた選手。これなどもプライバシーではないにしても、静かにしてあげていいのだと思う。

プライバシーなどという言葉がひとり歩きしている。

親と子の間でプライバシーが問題になるなら、それはもう親子ではないと思う。

私が将来娘の日記を読むかもしれないし、読まないかもしれない。でも、それはプライバシーの問題ではない。やさしさの問題だ。

近い将来、人に読んでほしいような日記を書くような娘に成長してほしいものだ。

posted by sponta at 23:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 時代の空気 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

☆劣情をこどもたちの心から排除せよ。(ふつうの人たちの思い込み)

娘の小学校で「いまの子どもたちをとりまくコミュニケーション」という座談会があった。
出席者は、校長、青少年委員、主任児童員、スクールカウンセラー、PTA34名、教員21名であった。

わたしは、憤慨するので出席しなかった。出席したとしても、私が独演会をするつもりはないから出席を慎んだというのが実際のところ…。

その会の報告書が配布されたので、反論したい。というか誤った社会通念をただしたい。



テーマ:こどものメール・交換日記を見ることについて。

出席者の意見:メールや日記、手紙に限らず、他人を傷つけるようなことはしない、書かない、これは他人に対してのマナーとして、親子で話しをしておく必要があると思いました。

私の反論&提案&意見:
おしっこやうんこをしているところを見せるという話ではあるまいし、どんな状況であろうと、オテントウサマに恥ずかしくないことはやるべきではないし、考えることも悪だと思う。
つまり、マナーなどと称して、そういうことを隠すことも嫌悪すべき行為だと思う。

また、人間とはそういう劣情にとらわれることもあるとしても、そういう劣情にしても肯定すべきであって、肯定することの中から、明日の自分において是正していく。それが人生における成長というものだと思う。

マイナスのエネルギーにとらわれた自分をそのままにしておいて、処世でやりすごせなどということは退廃でしかないのだ。

posted by sponta at 17:18| Comment(2) | TrackBack(0) | 小学校 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

テレビに出るということ。

テレビに出演するということは、ただ単にテレビに出るということではない。

室井佑月氏が、自分の小説を買ってくれる人意外は私のお客さんではないと言っているが、それは大きな間違いだと思う。

NHKはともかく、民放テレビはスポンサーのお金でなりたっている。つまり、広い意味では報道も含めて、スポンサーの商品を購買するために提供されるものであり、基本的には紙芝居屋の親父が飴を売るために紙芝居を演じるのと同じ構造である。
ただ、親父が飴を売るのではなく、親父は人集めのために紙芝居を演じるだけで、そこにあつまっている露天商が飴玉を売るのだ。

テレビに出るということは、そういう構造の中にわが身を置くということだ。



サッカー選手の場合はわかりやすい。試合のオンエア権をテレビ局に売っているから、試合に見に来る人はコアなファン。そして、テレビ番組の視聴率をあげてくれる人もファンのはしくれなのだ。



globeの小室さんは賢い人で、ステージでファンという言い方をしなかった。
「CDを買ってくれたみなさん。ありがとう」
彼の言説を分析すれば、彼のテレビ出演は、CD販売やコンサートへの観客動員へのプロモーションである。



昔の映画スターは、大衆に媚をふる必要はなかった。
なぜなら、木戸銭をはらった人だけが映画を見に来るのだから、一般人の意見などどうでもよかったのである。



だが、テレビに出てしまったら、もうそういう理屈は成立しない。
テレビ番組には洗剤メーカーなどが提供している。洗剤メーカーが気にするのは、ふつうの奥さんたちの意見。だから、ふつうの奥さんたちが眉をひそめるような人が番組に登場したら降板させるし、そのような人ははなから出演させない。
具体的にそのような圧力がスポンサーからかかるのは少ないだろうが、番組のプロデューサは常にそういうことを考えていると思う。
そして、この構造については多くの人が言っているので、みなさんご存知だと思う。
事件を起こした人が出演を自粛したり、降板するのはそういうことだ。



室井嬢がテレビに出演しているのも、そういう文脈の中であって、テレビの視聴者が彼女の収入の源泉であることは間違いないのだ。
そして、ブログにしても同じこと。クリック数やアクセス数を獲得することによって、こころぐから原稿料を受け取っているだろうに…。

トラックバックでにぎわっているから、彼女が私のサイトを見ることはないと思われから、反論も否定も説明も何もないと思うが、不見識であるとこには違いない。

蛇足:
かつて久米さんはニューキャスターをやっていたときにけっしてCMの出演を受けなかった。テレビの構造は構造として、けじめのつけかたというのはあるんだと思うのだが…。



posted by sponta at 11:23| Comment(2) | TrackBack(1) | メディア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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